2009年5月13日水曜日

屋形船の歴史

川遊びなどに用いられた屋形(家の形をした覆い)を据え付けた船。楼船(ろうせん)ともいう。古くは平安時代にさかのぼり、貴族の遊山(ゆさん)用の船、 年貢輸送船、商船などに屋形をつけることが多かった。そのなかには舁据(かきすえ)屋形船とよばれる簡易な屋形もあり、平安以後も用途により絶えることな く続いた。しかし一般に屋形船と いえば、江戸時代、花見、納涼、花火、月見の際に大名、豪商などが川面(かわも)に浮かべた豪華な遊覧船をさす。江戸では 隅田川の両国橋付近が有名で、承応(じょうおう)・万治(まんじ)年間(1652~61)には大型船になった。九間一(くまいち)丸(熊市丸)は座敷九間 (ま)に台所一間(ま)で、八間一(やまいち)丸(山市丸)は座敷八間に台所一間あった。「屋形船、山の這(は)い出る如(ごと)くなり」と川柳にもあ り、船体は金具や漆で飾り、船室の襖絵(ふすまえ)に贅(ぜい)を尽くした。芸妓(げいぎ)を乗船させて酒宴を開き、ときには屋形船を二艘(そう)つない で、一艘を踊り船とした。武士は屋形に槍(やり)を立てかけて威勢を示し、大坂には二階造りの大屋形もあった。寛文(かんぶん)・延宝(えんぽう)年間 (1661~81)が屋形船の全盛期であった。幕府は1682年(天和2)に船の寸法を定め大船を禁止し、その後も相次ぐ倹約令により、また簡易な屋根船 (やねぶね)の新造によって屋形船の使用は減少した。

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